それでも平和な僕らの日常   25


病院の一室を出て走り出す。

走りながら、ああ、個室で良かったと思う。
怒鳴って、走り出たけど、病院と言う場所にあってそれをするのは、かなりよろしくない。
これが、大部屋だったら尚更だ。
しかし、幸いにもあの場所は特別な個室。
まぁ、ボンボンであるアスランに感謝すると同時に、少し呆れもする。

などと、キラの事から頭を無理矢理遠ざけて、それでも、彼の言葉に涙が出てきて、泣きそうだ。

どうしても解かってくれないらしい。
でも、とも思う。
自分はどれだけの事を、彼に伝えたのだろう?
解かってもらうのは、難しい事・・・ならば・・・




「・・・・」

途中、車に乗り込み、向かった先はクライン邸。
彼女のいるはずの其の家のインターホンを鳴らす。
もしかすると、彼女ではない人が出るかもしれないと身構えつつ、誰かが出るのを暫し待つ。
其の間に車は帰らせ、迎えはいらないと告げることも忘れない。
頭の中はぐるぐるしていても、いつもの習慣は変わらない。

「はい。どちら様ですか?」

優しげな笑顔が惜しげもなく画面にさらされる。
それに少し苦笑しながら、小さく手を振る。

「やあ、ミーヤ。ラクスは居るか?」

そういうと、返事より先に門が開き、其の奥の扉が開いた。
いるらしいと判断し、門の中に足を踏みれと、優しい名も知らぬ花の香りがした。
それがいやに、自分の中のささくれ立った場所を沈めていくから・・・一つ息をついて、すがすがしい気持ちになる。
その花の香りは、まるでラクスのようだと感じて、笑みが自然とこぼれた。

「こんにちは、カガリさん」

微笑まれて、こちらも笑う。

「いきなりすまない。ラクス」

笑みでそれを受け入れると、彼女は室内へと導いた。





どうしてこんなにままならないのだろうと、目の前の少女は瞳を閉じる。





「カガリさんは、結局キラさまに何も伝えていないのではないですか?」

二人きりの部屋で、ラクスはそう問い掛けてきた。
此処にきた経緯を話すことで落ち着いた思考は、そうかもしれない。と、その言葉を肯定する。

そうかもしれない。
自分は、自分の真意を、相手に伝えていないのではないだろうか?

其れは、突然目の前が開けるような感覚に似ていた。

「私は・・・キラに何も言ってない・・・」
「でしょう?私達は人間です。無力な人間。だから、言葉でキチンと伝えなくては、何も解かりませんわ。」

当たり前の事を言われて、当たり前の事に、今更気がついた。
当然過ぎる結果。
馬鹿馬鹿しいばかりの経緯。

「こんなところまで来て・・・私は何をやっているのだろうな。」

情けない声と言葉。
自分の事なのに腹が立ってしょうがない。

「伝わってるはずなかったんだよな。だって、私は結局何もしていない。」
「では、これからすればよろしいじゃないですか?」

顔を上げれば、柔らかな笑み。
華奢なカップを繊細な指で持ち上げ、紅茶を飲む。
そんな少女に息を呑む。

「そう・・・だな・・・」

当然なのに、其れなのに、言葉が震えた。
なぜかもわからないままに、自分の手を見詰める。
やればいい。
いや、やらなければ。
でも・・・

「怖いですか?」

そっと、包み込むような声音。
労りと共に、手を握られる。

「それでも、あなたは此処で後悔をしている。なら・・・」
「解かっている。解かって・・・でも・・・」

相手の言葉を遮って、はき出た言葉は弱音だった。
そう、戸惑っている。
躊躇している。
勝手に動いて、もう、修復できないこれまでの関係。
其れなのに。

「・・・怖いですか?」
「・・・」
「相手の気持を、言葉を、知ってしまった今は、以前のような言葉を、投げかけられませんか?
幸せを願わない彼に、拒絶されるのが恐ろしいですか?」
「・・・!!」

言葉が突き刺さるようだった。
言われて初めて気付く。

恐ろしい。
怖い。

キラが・・・。
幸せを、欲しくないと言う彼が。

「私は・・・」
「あなたは、彼に幸せになって欲しくて、縛られて欲しくなくて、自分自身、彼を縛りたくなくて、動いたのではないのですか?
考えてみなかったのですか?彼は、其れを望んでいないかもしれないと。」
「・・・考えて・・・いたさ。でも、それでも、あの言葉は・・・」

思い出す。
それだけで悔しくなる。
『いらないんだ!!』
病院の一室で言われた言葉に戦慄する。
いらないといわれた。
彼が個人であるという事も、何もかも。
其れをしたのは・・・

「あの言葉を・・・言わせたのは私だ!」

涙があふれた。
今までの自分たちの関係は、何の意味もなかったのだと思えてくる。
だって、彼をそんな風に縛ったのは自分だ。
がんじがらめにして、そして・・・

「幸せを望まないと、あいつは言った。其れは、私が言わせたも同然じゃないか?
だって・・・だって・・・・」
「それでは、あなたは、あなたのしてきた事から目を背けますか?
何も知らなかったと・・・だから、この結果は、自分の管轄にはないのだと・・・。逃げますか?」
「・・・・できない・・・・」

拭われずに涙は、膝にしみを作る。
流れ出ては、零れ落ち、まるで穢れのようだと感じる。

「まだ間に合うのでしょう?あなたは」

まるで、老成した人間のような言葉。
さっきまでの突き刺すような言葉から一変して穏やかに語りかける。

「ああ。間に合わせるさ。」

それに答え、高らかに其れを掲げる。
涙を拭いた顔を真っ直ぐに上げて、笑いかけた。

「間に合う。間に合わせて見せる。」

そう、間に合わせてみせる。
間に合わなくてもいい。
それに・・・

「そう、私は、もうキラが私を拒絶しても構わない。」

人は独りで生きていく。
人は、どんなに相手を思って、誰かのためにと考えて、そんな風に生きていても、エゴの塊でしかありえないから。

「私は、私の願いに相反する、彼の願いを拒絶する。」

そうして私は、彼を壊すのだろう。
ズタズタになって。
ボロボロになってしまった。
そんな彼にとどめを刺すのだろう。
それでもいい。
これもエゴだ。
そして、彼の願いも、またエゴでしかない。

「お父様の思惑も、何もかも、やっぱりエゴでしかないのだしな。」

気がついてしまえば、苦しくなる。
でも、其れを認めてしまえば、人間は楽になるものだと初めて理解した。

「キラが要らないと言ったって、もう聞いてなんてやらないんだ。
私は、私の思うキラの幸せの形を、キラに押し付けてでもその手に握らせてやる。」



笑うと、彼女も笑った。
力強く、肯定された。


君に届けよう。
願いと言う幼稚な鍍金で彩られた、卑小で醜悪なエゴを、その腕に。