それでも平和な僕らの日常   26


君の知らない君の姿を、俺は見たから踏み出すんだ。

君を殺すのも、君を助けるのも、全て俺でなくてはならない。
だから・・・



泣きそうなその顔に、笑ってしまう。
全ては、どこから始まったのだろう?


「キラなら病室に戻されたよ。かなり興奮してたしね。」

そのいとしい人に似た、でも、まったく違う色の瞳を見据えて話す。
自分は、病室のベッドにもたれて、見上げた相手は、静かにこちらを見下ろしている。

「そうか。」
「どこに行くの?」

たった一言の返答で、部屋を出て行こうとするから、言葉をかける。
その瞳は、婚約者だった歌姫を彷彿とさせる。
強く強く何かを確信し、決めてしまった後の瞳。

「キラのところに決まっているだろう。」

胸をそらして、当たり前然として言い放つ。
その姿に、苦笑する。

「今は行かない方がいい。」
「・・・」
「お前が行けけば、きっと現状は悪化するぞ。」

歌うように、ささやくように、少し喜びを混ぜて、言い放った。
キラの状態は、かなり悪い。
精神の状態は、今までの依存対象をなくすことによって、均衡を崩し、依存対象に突き放されることによってずたずたに引き裂かれ、最後の止めと言わんばかりの俺の言葉で、崩れ散った。
彼は壊れた。
何もかも、彼を救いはできないまま。
何もかもに、絶望してしまった。
キラは、何もない。
今はもう、何も見出せない。

自分が強く、賢くなる理由。
自分が存在している意味。
自分が生きていくための・・・

それら全て、全て、失って。
全て、全て、壊しつくして。

君の中に、何もなくなってしまえばいい。
そうして尚、お前の生きるさまを、俺は喜びとする。

「・・・何かしたのか?」
「別に。」

暗い笑みが零れ落ちる。
何もしてない。
そんなはずはない。
でも、それが引き起こされたのは・・・。

「俺じゃないだろ?何かしたのは。ここまでずたずたに、全てを殺していったのは、俺じゃないだろ?」
「・・・っ・・・」
「引き金は、カガリ。そうして砕けそうなそれに触れたのは、俺。」

それだけのこと。
たったそれだけのことだけれど、致命的なその最後の温もり。
君を想う。
たった一人、君を想う。
一度はこの姫君を、君の代わりと思ったこともあった。
でも、其れは叶わぬ夢。
どんなに心を塗り固めても、零れ落ちてしまう本音があった。

「・・・そうだ。私は自分のために今まで培った全てを壊したんだ。それでキラがどうなるかなんてわかっちゃいなかった。
それでも、私はキラとかかわろうとしている。其れはやっぱりエゴだけど。
それでも、今よりも前へ進むための私にできる全てだ。」

美しい瞳は、俺の持ち得ない光をもって、この病室を後にする。
その背中は、キラを光に導いてしまうのだろうか?
それとも・・・・

「俺と同じに刺されるかもしれないのに。」

独り言にふと、そうではないなと胸中でつぶやく。

そう、違う。
俺は自分でこの身を、其の狂喜の前へ曝け出し、投げ出した。
だが、きっと彼女はそんな愚かしい事はしないだろう。
明日を信じ、光の元へ、暗い夜から誰もを導き出そうとする彼女は・・・。

「・・・其れは・・・」

この上なく不愉快な事。
彼の全ては、彼女を構成するあらゆるものでできており、其れが、変わる事のない何かになってしまう瞬間を想像する。
其れはこの上なく
この上なく・・・―――

「不本意だな。」

思い、立ち上がる。
不本意だし、そんな事を許したくはなかった。
彼の暗い闇に穿たれる楔は、自分だけでいい。
傷が痛むし、誰かに会ってしまえば小言を言われそうだ。
思考の片隅で、本当に、そんなどうでもいいことを思う。
白い部屋を出れば白い廊下。
そうしてまた、白い病室へと繋がってゆく。
無限に終らない、醜悪を塗りつぶしたかのような白。
どうしようもない色だと思った。
どうしようもなく・・・・




目的の扉は、軽い力でスライドし、その中の光景を曝け出してしまった。
白いベッドに横たわるその姿。
なぜだろうか?
アスランの病室を訪ねたときは感じなかった儚さに圧倒された。
茶色の髪の双子の兄弟。
一卵性ではありえないけれど、とてもよく似通ったその相手の顔。
どうしても、言わなければならない。

とても大切なもの。
大切な人。
大切な願い。
強い、願い・・・・。
君を思っている事。
思ってる。
ずっと。

「とても、大切だと、それだけじゃいけないのかな・・・。」

白い部屋に塗りつぶされて、光に拡散されるように、虚しさだけに押しつぶされていく言葉。
虚空に彷徨わせていた視線をベッドの上へ落とした瞬間、見開かれた紫電渦巻く闇とぶつかった。
其れは、言葉では形容詞しがたい・・・・。


叫びが聞こえた。
魂が砕けていく音のようだ。

叫びに塗りつぶされて、記憶は曖昧。
白い部屋に、灰色の光が割り込んで、白い世界を引裂いた気がした。
一文字に引かれたそれの所為で、この世界は夏の夜の空の色に塗りつぶされたのだと。


「・・・ぅ・・・くぅっ・・・!」

うめき声が自分の口からほとばしるのを、他人事のように感じて、感覚が戻る。
息が詰まる。
背中が痛い。
涙があふれてる。
それでもまだ限界に達しない其れは、零れ落ちる事はない。
そうして、居る筈の人間が視界にいないことに気がつき、いないはずの人間が視界にいることに気がつく。
混乱の真っ只中。
その中に自分は身を投じているのだと、いまだ気がつかない。
おかしい。
でも、当たり前のようにも感じる。
訳がわからなくて、不器用に、回りくどく、とても不合理に体を動かす。

「アス・・・」
「ったく、馬鹿だな。」

名前を呟いたのはどちらだっただろうか?
そして、彼にそう馬鹿にされたのは・・・どっち・・・?

「何呆けてんだ。たく」

そういった皮肉な横顔を、きっと忘れられない。
そのくらい・・・

「そんな顔する位なら、やらなきゃいいのに、おまえ等は。」

呆れて溜息を吐かれる。
二人に言い放ったらしい言葉は、しかし、自分には視線をむけないままに言われて、何かがうずく。

「でもまぁ、お互い様かもしれないけどな。お前になら、殺されたって幸せだといえるからな。俺は」

その瞬間に、頭に血が上る。
歪んだ言葉は、その心の全てを表し、模倣している。
キラの何をもってしても、彼には、幸福以外を与える事はありえないのだと。
目の前で響く、歪みきったその思いは、愛の告白。

聞きたくなくて、絶望ばかりが胸にほとばしって、そうして見上げる横顔は、闇色の輝き。