それでも平和な僕らの日常   28


静寂の満ち満ちた部屋で、僕は初めて世界と向き合う。

君のいない毎日が、始まってしまった。

何もないと、思っていた道だった・・・・。




ピシャリと閉ざされた部屋には、静かな空気が漂う。
真っ白なその部屋で、視界には翡翠の輝きしか映ってはいなかった。

「・・・」
「・・・」

沈黙。
沈黙。
とても重く、とても息苦しい。
其れは、答える事が困難な答えを早く出せと急かされるのに近い。
其れはとても困難な・・・出来事。
自分の言葉など持たなかった者が、自分自身の言葉を紡げと言われて、まさかすらりと出るはずもなく。
今まで禁じられてきた物事に、自ら踏み込み触れることの、何と痛みを伴う事か。
体中が戦慄している。

心臓が痛い。
まるで、心が心臓にあたる其処にあるかのように、勘違いしてしまいそうな程の痛み。
喉がカラカラで苦しくなる。
まるで、精神の中核が、その胸の部分に存在しているのかと、疑ってしまう程の苦しみ。

「・・・・」

口を開くが、言葉がでない。
乾いた唇。
乾いた喉。
其れを意識する。
どうして言葉がでないのか。
どうして声を出すのにこんなに苦労するのか。

“お前はもう、隠れ蓑がないまま、そいつと向き合わなきゃいけないんだ。”

不意に、カガリの言葉が浮かんだ。
そういう事なのかもしれない。
怖いんだ。
素のままの自分など出した事がないから。
抜身の自分を曝け出せない弱さ・・・。

“ふられるために、前に進むために、お前に気付かせるために”

彼女は、自分よりも勇気のある人だった。
ふられると、わかっていてそれでも・・・。

その強さに憧れと、理解できないと言う思いがよぎる。

自分はそんな風になれないのだと言う絶望。
ああ、自分は・・・こんなにも・・・

「・・・はは・・・」
「?」

意図せず、瞬間的にブラックアウトする思考と視界と共に俯いた。
かすれた笑いが口を突いて零れるのを感じた。

「馬鹿だよね。君は、僕なんて選んでさ。何考えてるの?」

顔を上げ、首を傾げた。
ああ、なぜ僕は・・・・こんなにも、肺が苦しいのだろう?
見据えた先に居るその相手は、動かない。
体も顔も、動かずに、じっとこちらを見ている。

「何もないのに、空っぽなのに、僕なんていう人格は、無いに等しいのに。」

自分というものが何かなんて、カガリが居なければ証明できない。

脆弱な存在。
惰弱な存在。
醜悪な存在。

「・・・じゃぁ、何で泣いている?」

静かな湖面のような動きで、その掌が頬に触れた。
その瞬間、其処に流れるものの存在を知覚した。

「え・・・」
「泣いてるのは、お前の意思だろう」

静かに、そのまま抱きすくめられた。

「でも、それでも、納得いかないなら、さっき言っただろう?俺の物になればいい。
そうやって存在しなければいけないのなら。」

心臓が冷えるような気持を、なんと表現すればいいのだろう?
持たない言葉と、知らない心に、翻弄される。

「でも、お前は其れを望まないだろうな。」

苦笑する声がとても近くて、その存在が、密着してすぐ傍に居る事を思い出させた。
顔を上げれば、文字通り、目と鼻の先にその相手の顔がある。
それに、離れようと身じろぎすると、余計に腰を抱きすくめられる。

「・・・アス・・・」
「感情は、あるだろう?そうやって泣いて、今は、痛そうな顔をしてる。だから、それでいい。お前が欲しい。
小さい頃からお前のことを知ってる。お前より、きっと俺は知ってるよ。頑固で、優しくて、自分勝手で、弱いお前を。」

額をくっつけられる。
閉じられた瞳を、覗き込みたいと思った。
だって、そんな台詞を言われたのだ。
目の前のその人物に。
そんな事を思っていたら、言葉が自然に出た。

「なら、僕が何を持ってるのか、何を持ってないのか、思い出させて。一人じゃ・・・・わからない・・・わからないんだ・・・。」

苦しくかすれた声で紡がれる弱音と、小さく控え目に出された本音。
目の前にある瞳が見開かれた。
そうしたら、バッチリとその瞳と視線が合った。
あまりに大きく見開かれたその瞳が、さぐるようにじっと瞳を見詰め返すから、どうしようとも考えられずに焦った。
しかし、その焦りは、アスランの感情の奔流に呑まれて消え去り、全く別の焦りが生まれた。

唐突にふさがれた唇に、強く抱きこまれて動けない胴体。
初めての感触と、自由の利かない体に、そのまま当たり前の流れのようにパニックが引き起こされる。

・・・アッ・・・アスッ・・・
「・・・・んっ・・・」

抵抗を示すような言葉は、相手の唇に飲み込まれるかのように失われていく。
まるで、言葉をもたないその時からの本能のように自然と動く体に、理性と言うストッパーがいきなりかかったかのような動きで、アスランはキラの唇からその唇を離した。
突然の解放に、目を白黒させている間に更に強く抱きこまれて、やっぱり訳がわからない。

「アス・・・・・?」
「悪い。」

顔の見えないその相手の、肩口に顔をうずめたままのくぐもった声に、何かしらの色が見え隠れして、今度は先ほどと違う意味合いを抱いて体を離そうとするが、アスランの力は強く、その動きは全く功を奏さずに相手に体を委ねるしかなかった。

「このまま時が止まるといいのに。」
「え?」
「すごい嬉しすぎる・・・・。」
「・・・ぁ・・・」

体がきしむけれど、その声音に、そのままでも構わないような気がしたのはなぜだろう。
よくわからないけれど、その背を撫ぜた。



知らない感覚。
タブーだった感覚。
全部持っているはずが無いと諦めて。

そうして強張っていた手足を、また動かし始める。

止まっていた時を嘆きながらも、止まらない。

止まらない。



いつか言えるようになるだろう。

まだ持たぬ、ありのままの心の声。
まだ知らぬ、ありのままの心の言葉。

そうしたら、僕は君に何を伝えるだろう・・?